2014年8月16日土曜日

<戦艦大和>艦長の在米英文日記「豊かさ、比較にならない」

転載元:http://uni.open2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1407937551/

1 :◆sRJYpneS5Y :2014/08/13(水)22:45:51 ID:???
「戦艦大和」艦長などを務めた海軍軍人が昭和初期、アメリカ滞在中につけていた英文の日記が見つかった。当時すでに「仮想敵国」だった米国の武力を探る一方、その豊かな国力を肌で感じていたことが分かる。当時の軍人によるアメリカ滞在日記が公になることはほとんどなく、貴重な1次資料だ。

 日記をつけていたのは松田千秋・元海軍少将(1896~1995年)。長男の孝行さん(81)が遺品の中から見つけ、孫で毎日映画社ディレクターの文治さん(44)が解読を進めていた。

 当時、少佐だった松田は1929年、語学研修のため渡米し翌年、在米大使館付武官補佐官に就任、計2年間、主にワシントンに駐在した。見つかったのは29年6~9月のもので、約120ページ。サンディエゴでは「飛行機に乗り街を見下ろした。約100隻の駆逐艦があり、20隻は稼働中だった」と記した後「標的」を意味するとみられる「gun targets」と書くなど、米軍艦に強い関心を示している。

 一方、アメリカは人も建物も大きく、食事に行っても食べきれないほどのものが出てくるなど、豊かさに驚く記述も目につく。アメリカ通の軍人が少ない中、実体験でアメリカの国情を感じていたようだ。戦後は「アメリカは資源の豊かさや生産性など、日本とは比較にならないと思った」と振り返ったという。

 松田少佐は第2次近衛文麿内閣の直属機関で、開戦前の41年4月にシタートした「総力戦研究所」の所員として研究生を指導。諸外国の国力や国際情勢を踏まえつつ戦争のシミュレーションを行った。その結果8月、「日米戦日本必敗」の結論を下した。


続きはこちら Yahoo!/毎日新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140813-00000091-mai-soci

依頼です。
◆◆◆ニュー速+ スレ立て依頼所 4◆◆◆

http://uni.open2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1404577774/653

2 :名無しさん@おーぷん :2014/08/13(水)23:51:34 ID:LLUU4MIiI
アメリカ留学組は彼我の国力差を痛いほどわかっていたはず
それでも戦争を止めれなかったのは何故なのか?

7 :名無しさん@おーぷん :2014/08/14(木)04:48:51 ID:xuLcWJYsD
列強のグレートゲームな最中、引く事は植民地になるという事だったからな。
避けられるものではなかった。

14 :名無しさん@おーぷん :2014/08/14(木)08:09:04 ID:liJivFmGs
>>2
窮鼠猫を咬む、という言葉があってな自分がねずみだとわかっていても
死ぬか隷属かを突きつけられれば、猫に咬みつくしかないときがある。

たとえ負けるとわかっていても数パーセントに過ぎない可能性に賭けるしかない

で、日本はその賭けに負けたのさ。

26 :もと団塊 :2014/08/15(金)07:58:56 ID:w8Po2ma0s
・中国における権益争いで日本が邪魔になったアメリカが
国際連盟で壮絶な日本いじめを開始。

ニューデール政策の失敗に対する国内批判の目を逸らす目的もあった。
・最終的には当時原油の生産をほぼ独占していたアメリカが日本に対して
禁輸処置を通告。
・経済の根幹を握る石油の輸入を閉ざされた日本の採るべき道は限定されてしまった。
すなわちジャワ島原油の確保である。
・ジャワ島原油の輸送航路はフイリッピン近海を経由せざるを得ないため
フイリピンを日本が占領する必要が生じたがアメリカの植民地であるため手をだせない。
・追い詰められた日本はドイツの勢いと当時の世論の後押しもありアメリカとの開戦を決断した。
・しかしアメリカの国力を十分に把握していた日本は全面戦争など頭から想定していなかった。
・即ち、開戦の初頭でアメリカの度肝を抜くような戦果を挙げ短期で手打ち式に繋げる作戦であった。
・そのためにターゲットに設定したのが真珠湾攻略であった。
・ただしアメリカ側も日本のこのような戦略を予想しており真珠湾を囮に利用してアメリカ国内の
戦争気分を一気に高揚させることに成功した。

・・・・・以下このような流れで必然的に戦争が拡大・継続せざるを得なくなった。

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